2005/1/27にjapan.internet.comに新しいコラムが掲載されました。
今回からこのコラムの執筆者が変わり、
内容も P2P を(少しだけ)技術方面から眺めたものにする予定です。
第1回は自己紹介を兼ねた特別編として、
筆者と P2P の関わりについて触れたいと思います。
■P2P との出会い
筆者が「ピアツーピア」(P2P:peer-to-peer)という言葉を初めて知ったのは、Windows 95 が発売された頃でした(*)。
Windows 95 にはパラレルのクロスケーブルを使って2台の PC を接続する「ケーブル接続」という機能があり、ネットワークカードを持っていなかった当時は大変便利に使っていました。
その「ケーブル接続」の説明中で「ピアツーピア接続」という言葉が使われていました。
まさに「2つの PC を対等(peer)な関係で直接接続する」だけの非常に単純な機能でした。
LAN どころかパラレルケーブルで接続されているだけのネットワーク(?)だったので、まさかその後 P2P というキーワードがインターネット上で使われるとは想像していませんでした。それどころか、P2P イコール「2台の PC の接続」と認識したので、 P2P という言葉から「3台以上の PC」を連想することすらありませんでした。
*筆者注:P2P という用語はそれ以前から存在する一般的な用語であり、Windowsおよびマイクロソフトが提案/創出したものではありません。筆者が知ったのがそのタイミングだったということです。
■P2P との再会
ケーブル接続以後も、 P2P という言葉はちらほらと用語として登場しており、頭の片隅にはあったものの、特に注目はしていませんでした。
2000年10月、当時筆者が勤務していたロータス(現在は IBM に買収)という外資系ソフトウェア会社の開発部に、ちょっとしたニュースが流れました。それは「(ロータスノーツ開発者であった)Ray Ozzie 氏が P2P のグループウェアを作ったそうだ」というものでした。
自分たちが開発していてよく知っているグループウェアの基盤技術として、あの(ケーブル接続の)P2P が採用された、ということを聞いても正直ピンと来ませんでした。部署内でも「グループウェアを P2P でやって何が嬉しいの?」「さぁ……」というような話をしたのを覚えています。
天才プログラマでアイデアマンの Ray Ozzie 氏が、ロータスを辞めて何か新しいものを作っているという噂は以前からあったので、業界の注目度も高かったようです。
実は音楽ファイル交換の Napster は1999年1月に発表しているので、 P2P が世に出るという意味では Groove よりも早かったわけですが、自分の環境のせいでしょうか、個人的に耳に入ってきたのは Groove が先でした。
筆者らが当初理解に苦しんだ Groove の構想は、「ネットワークで通信できるあらゆる種類の情報を共有する『空間』を作る」という、今思うと非常に先進的なものでした。これはアプリケーション層オーバーレイネットワークの考え方に他なりません。
■P2P で作る
その後 Napster から Winny までの一連のファイル交換 P2P については、「著作権」という切り口でマスコミでも報じられ、一般の方にも知られるところとなりました。
ダークなイメージが定着してしまったのは残念なことですが、ファイル交換 P2P はその発展過程で数々のテクノロジーを生み出したのも事実です。
また、P2P という要素技術の名前がこれほどまでに知られたことは、ファイル交換 P2P の成果と言っていいかもしれません。エンジニアでもない一般の方が「クライアント/サーバー」は知らないけれど「P2P」は知っている、という状況はよく考えるとすごいことです。技術的には対等であるはずなのに、片方だけ知られているわけですから。
筆者も P2P でアプリケーションを作り、広める立場になって3年半が経ちました。このコラムの読者なら十分理解していると思いますが、 P2P そのものは純粋にテクノロジーであり、それだけではダークなものではありません。つまりアプリケーション次第なのです。
今後も、P2P の可能性を信じて、しかし盲信することなく、エンドユーザーの幸せを実現するためのひとつの手段として、クールに P2P と付き合っていきたいと考えています。
さて、次回からが本編のスタートです。まずは今一度 P2P テクノロジーを振り返ることから始めてみようと思います。そして、筆者が P2P エンジニア、そして P2P エバンジェリストとして活動する中でわかってきた P2P の技術的特性、適正、問題点などについても、できるかぎり具体例を挙げながら紹介していく予定です。(執筆:岩田真一